宇多田ヒカルの「Mine or Yours」はなぜ炎上したか?

1. 日本の現行制度と法的背景

日本では1898年施行の民法第750条で、婚姻する夫婦は「同一の氏」を名乗ることが求められています。実際には約95%の夫婦が夫の姓を選択し、女性が改姓していますが、どちらの姓を選ぶかは当事者間で協議し決定することになっています 。2021年、最高裁は現行制度が憲法違反ではないと判断しつつも、議会での立法論議を促す判断も示すなど、法的・制度的には変更余地を残しつつも踏み込んだ改正には至っていません 。

  • 戸籍制度との関係
    現行の戸籍制度は「一家一戸籍」かつ「同一氏」での登録を前提としており、別姓を認めるには戸籍簿の設計から変更する必要があります。このため、別姓を導入すると戸籍管理や行政手続きの見直しが必要となり、膨大な事務コストやシステム改修が伴うとされています 。
  • 内閣・与党の動き
    2025年5月時点で、自民党内では保守派を中心に夫婦別姓導入に反対する声が根強く、有力議員が現行制度維持を主張しています。一方、党内には賛成派も一定数おり、旧姓の通称使用拡大案などを提唱する議員もいますが、党執行部は「夏の参議院選前に党内の結束を乱さない」ことを優先し、別姓関連の法案提出を見送る姿勢を固めています 。

2. 夫婦別姓導入に向けた主な「課題」

(1)家族の一体感・伝統的価値観

保守的な立場からは、「一つの家族は同一の苗字を名乗ることで家族の結束や一体感が保たれる」という主張が根強くあります。とくに地方では「古くから続く家系や地域コミュニティの中で、同姓が家のアイデンティティを示す」という意識が強く、これを崩すと伝統的価値観が損なわれるという懸念が示されます 。

(2)戸籍・行政手続きの煩雑化

現行の戸籍簿は同一戸籍内で同一氏を前提に管理が行われているため、別姓を認めると以下のような問題が指摘されます:

  • 子の姓の取り扱い:夫婦が別姓を選択した場合、子どもはどちらの姓を名乗るかを定める必要がある。法案案では「結婚時に親が選択し、きょうだい間は姓を統一する」といった規定案もありますが、最終的な制度設計は未定です 。
  • 行政システムの改修コスト:戸籍管理システムをはじめとする公的なデータベースは「同姓登録」を前提に構築されていることが多く、別姓を認めるには大規模なシステム改修が不可避とされています。改修には多額の予算と期間を要し、現実的な導入時期やコスト負担の見通しが立っていません 。

(3)家族観・子どもへの影響

「夫婦が異なる姓を名乗ることで、子どもへのアイデンティティや家系の繋がりが希薄になるのではないか」という声もあります。しかし、別姓を認めている国では夫婦が同居しながら別姓を維持しつつ、子どもはどちらかの姓を選ぶケースが一般的であり、大きな混乱が生じているわけではありません 。にもかかわらず、日本では「家族のかたち」をめぐる保守的な観念が依然根強いことが導入を難しくしている一因です。

(4)ジェンダー平等との乖離

多くの女性団体や企業団体(電機連合など)が「現状の同姓制度は女性の社会進出やキャリア形成を阻害している」と指摘しています。たとえば、複数の大手企業が加盟する経団連は、夫婦別姓の導入を「ダイバーシティ推進の観点から必要」と提言しており、2024年には法改正を求める申し入れを行いました。現在、日本の男女格差指数は先進諸国の中でも低く、同姓制度が女性の労働環境や社会的立場に影響を及ぼしているという指摘があります 。しかし、自民党の保守派や一部の世論は「家族の統一感が失われる」として反対を続けており、立法化は先送りされている状況です 。

3. 世論の支持状況と政治的な分断

日本国内の複数の世論調査では、約9割以上の回答者が「選択的夫婦別姓制度を導入すべき」と支持しています。とくに20~30代では支持率が高く、「自分の姓を結婚後も維持したい」「ライフスタイルに合わせた選択肢がほしい」と考える声が多い一方、高齢層や保守的な層では「家族の一体性が損なわれる」のではないかという懸念から反対意見が根強いです 。

一方、国会では与野党で意見が真っ二つに分かれており、2025年春~夏の国会でも立憲民主党など野党が「選択的夫婦別姓制度導入」の法案を提出しましたが、自民党は「戸籍制度を維持したまま旧姓通称使用を拡大する案を優先すべき」として対案を提出しないまま審議入りすら見送る方針を固めました。これにより、与党内の保守派とリベラル派の溝が埋まらず、今期の改正は困難とみられています 。

4. 宇多田ヒカル『Mine or Yours』における歌詞と炎上の経緯

(1)歌詞の内容とリリース状況

2025年5月2日、宇多田ヒカルがYouTube「The First Take」で発表した新曲『Mine or Yours』には、サビ前に以下のようなフレーズが登場します。

「令和何年になったら この国で夫婦別姓OKされるんだろう?」

この歌詞はSNSを中心に大きな注目を集め、「著名アーティストが政治的メッセージを発信した」として賛否両論を巻き起こしました  。

(2)主要な賛同・批判の声

  • 賛同の声(立憲民主党・社民党など)
    立憲民主党・辻元清美氏や社民党・福島瑞穂党首は相次いで自身のX(旧Twitter)で「宇多田ヒカルさんのメッセージは素晴らしい」「いつまでも待っているわけにはいかない」などと発信し、世論の関心をさらに引き上げました 。
  • 橋下徹氏による批判
    一方、元大阪府知事・橋下徹氏は5月上旬に関西テレビの番組で「著名人の発信を利用して政治的議論を誘導するのは最悪だ」「政治家は自分の言葉で議論すべきなのに、宇多田さんを利用している」などと厳しく批判しました。橋下氏は「宇多田さん個人がこうしたメッセージを歌に乗せること自体は構わないが、それを野党が『お墨付き』のように使うのは問題だ」と述べ、ネット上では「政治家のタレント利用」論が盛り上がりました 。
  • ネット民の反応
    ネット上では、「アメリカ生まれの宇多田さんが日本の制度を語る資格があるのか」「アーティストが政治的メッセージを発信するのは場違いだ」「むしろもっとデリケートに表現すべきだった」という否定的なコメントも散見されました。一方で、「自分たちの声を代弁してくれた」「いまどき男女平等を訴えるのは当たり前」といった支持意見も多数飛び交い、SNSは賛否入り混じった議論の渦に包まれました 。

(3)「炎上」に至った背景

  • 歌詞が政治的メッセージを直接的に示した点
    これまで政治的メッセージを歌詞に盛り込むアーティストは日本でも一定数いましたが、最近のJ-POPシーンでは比較的タブー視される傾向にありました。そのため、宇多田ヒカルのようなトップアーティストが率直に「夫婦別姓」の問題提起をすると、ファン・アンチ双方の反応が過激化しやすく、炎上につながりやすい土壌がありました 。
  • 制度改正の停滞感・世論とのズレ
    世論調査では高い支持率を獲得しながらも、国会では与党内の対立や戸籍制度上の課題からなかなか法改正が進まず、国民のフラストレーションが溜まっていました。歌詞が「令和何年」というフレーズを用いて「いつまで待たせるのか」と問いかけたことで、多くの支持者が「まさに自分たちの代弁だ」と共感した一方、反対派からは「まだ準備が整っていない」といった反論が噴出し、ネット上で激しいやり取りが起きたという流れがあります 。

5. まとめ:なぜ課題は解消しにくいのか

以上のように、日本における夫婦別姓導入の課題は以下のように多岐にわたります:

  1. 戸籍・行政システムの大規模改修コスト:従来の戸籍簿や住民票、マイナンバーなどを含む行政システムは「同一氏」を前提として設計されており、別姓を認めるとそれらすべてを改修しなければならないため、予算・時間的コストが膨大です 。
  2. 家族観・伝統的価値との摩擦:家族の結束や伝統を重視する保守層からは「同姓が家族の一体感を示す」「子どもの健全な成長のために同姓が必要」という意見が根強く、意識改革にも時間を要します 。
  3. 政治的対立と立法停滞:世論調査では賛成が多数を占めるにもかかわらず、自民党内で意見がまとまらず、与党が法案提出を先送りするなど、政治力学上の事情が改正を困難にしています 。
  4. ジェンダー平等との乖離:企業団体や女性団体からは「女性の社会的地位向上のために必要」という声が強いものの、政治家や地方の風土が追いついておらず、制度論議が停滞しています 。

宇多田ヒカルの新曲は、その停滞感や「いつまで待たせるのか」という国民の苛立ちを象徴するものとして受け止められましたが、一方で「アーティストが政治的主張をするべきではない」という意見も根強く、炎上に至りました。まさに「夫婦別姓」というテーマそのものが、制度的・文化的・政治的な多重の障壁を抱えていることを浮き彫りにしていると言えます 。

みたいなことを考えさせるのが宇多田ヒカルの意図だったり?もしそうなら、それは、それこそ、アートかもしれない?


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